○田島(一)委員
民主党の田島一成でございます。
私も野田委員と同じで、第一希望にずっと書き続けたこの文部科学委員会に、議員になって二回目。一回目、ならせてもらったんですけれども、なった途端で質問の機会すらなかったということでありますから、実質、委員として質問させていただける絶好の機会をちょうだいいたしました。
伊吹大臣には、それこそ昨年は行革特別委員会の中で委員長としての名裁きぶりを目の当たりにさせていただき、あのとき失礼にも小言で、大臣と委員長がかわった方がいいんじゃないかとさえ思ったこともございましたが、あのときの大岡裁きで、ぜひ、今日混乱するこの文部科学行政に大なたを振るっていただくことを心から期待を申し上げたいと思います。
さて、きょうは、大臣のごあいさつに対する質疑ということで四十五分をちょうだいいたしましたけれども、まず冒頭、やはり皆さんも一番関心をお持ちの、連日のいじめ報道、いじめ事件についての言及を避けるわけにはまいらないと思います。とりわけ、担任の先生が今回のあの福岡でのいじめの事件を主導したということが本当に事実であるとするならば、これは本当に悪質きわまりない、ゆゆしき事態だというふうに考えます。
実際にいじめが起こっていながら、そのいじめの件数はゼロだったとあの地元の学校長も報告をし、そして、そのままうのみにして教育委員会も文科省の方に報告していた。このことは、はっきり申し上げて、事を荒立てずに内々で、内密に済ませていこうとする学校幹部、そしてまた、都合のいい情報、報告をそのままうのみにして、教育委員会そして文科省にいい顔をしている、そんな教育委員会、文科省の実態すら浮き彫りになってきたのではないかというふうに私は思います。
考えてみれば、この教育界というのは、まだ具体的な分析を進めてきていたわけではありませんけれども、幹部であれ、そしてまた現場で働く先生であれ、教育界全体が比較的ファミリーのような、全体としての連帯感、一体感で包まれてきたこれまでの戦後の六十年間の教育界ではなかったかというふうに思います。いい意味での連帯感が日本の教育を支えてきたと思う半面、裏では、身内の、仲間のこうした問題点をひた隠し、そして包み隠ししてきたもたれ合いの体質がこれまであったのではないか。その一例が今回のいじめ事件の騒動ではなかったかというふうに思いますが、大臣はどのようにお考えいただきますか。
○伊吹国務大臣
北海道と福岡で起こった悲しい出来事については、やはり事実関係をしっかりと確認した上で議論をした方が私はいいと思って、現地調査を早急にするように言って、ある程度の事実関係は判明いたしました。それを受けて、昨日、全国の教育委員会の責任者、政令市及び県の責任者に文部科学省に来ていただいて、その事実をお話しし、それから各県からも成功事例、失敗談その他をお互いに共有する機会を持ったわけです。
文部科学省はかねてから、いじめがあった数字を報告しなさい、それから自殺者を報告しなさいということを頼んでおるわけですね。当初これを依頼したときは、かなりのいじめの報告がありました。しかし、徐々に徐々にその報告の数は減ってきておりますね。これは、小学校、中学校の段階で、先生が今おっしゃったように、事なかれ主義、外へ事を漏らさずに中で処理してしまおうという考えがあるのか、それとも、教育委員会までは行っているけれども、教育委員会から都道府県の教育委員会あるいは文部省へ、隠ぺい体質があって来ていないのか。いろいろなことがあって、そして再度通達を出していたわけですよ。
それで、再度通達を出していたというのは、教育委員会がいじめと認定をしなくても、児童から申し出があった件数を報告しろということをやったわけですね。しかし、その数字は、あるとき通達を出すと高く出てくるんですが、またずっと下がってきて、そして、自殺に至ってはゼロ、ゼロという数字がずっと来て、もちろん自殺の原因の認定は非常に難しいと思いますが。
ですから、私は、先生がおっしゃったように、やはりある意味では協調してやっていくということはいいことかもわからないけれども、これが悪くいきますと、出先の教育委員会と、教師と、教師の管理者である校長さん、教頭さんを含めて、教職員組合との関係も含めて、悪く言えばなれ合いというところがあるということはやはり否定できないと思いますね。そういうことを制度を直しながら直していくというのは、先ほど藤村先生がおっしゃったように、一つ大切ですけれども、同時に、みんなが使命感を持つ教師でなければならないから、教師の免許の更新制だとか学校の外部評価だとかということを今やっている、こういう位置づけになるんだと思いますね。
○田島(一)委員
見て見ぬふりをする、また、もたれ合いであるとかかばい合いによって隠ぺい体質が生まれてきたのであるならば、私も、やはりこれは徹底した厳しい目で現場を指導いただきたい、このことを強くお願い申し上げたいと思います。
ただ、先ほど大臣がおっしゃったように、それこそ外部評価制度であるとか免許制度がそのすべての解決になるかどうかは、また今後の議論というふうにさせていただきたいと思いますので、この点については一たびここで締めさせていただきたいと思います。
大臣のごあいさつの中にありました文章の中で、私、どのようなニュアンスでおっしゃられたのかが引っかかる部分もちょっとありましたので、お尋ねをしたいと思います。
文書でちょうだいしましたのは、ちょうど二ページ目でありました。大臣も随分この原稿に加筆修正なさったのか、原稿でおつくりいただいた文章にも随分言葉をお足しになって先日の委員会でごあいさつをいただきましたので、その意味では、非常に強い思いでお読みをいただいたんだな、ごあいさついただいたんだなというふうに受けとめているんですが、その中で、「恥と共生の文化など、日本が大切にしてきた伝統的社会規範の価値を、もう一度見直すことが大切であると考えます。」というふうにございます。
昨今の日本人のマナーであるとかルールの規範意識の低さは、それこそ飲酒運転の増加であるとか、また、つい先日も、私この国会へ来るまでに地下鉄に乗ってきましたけれども、地下鉄の中で、座って、お化粧に熱心な女性の方とも出会いました。
私、まだ、当年とって四十四歳でありますが、ちょうど大臣は私の父と同い年でありまして、そういう意味から申し上げますと、こういった社会規範、ルールやマナーに対しては非常に厳しく育てられた年代ではなかったかというふうに思います。私の父などもそういう点には非常に厳しく、人前でやってはいけないこと、やっていいことというのを随分幼いころからしつけられたようなものでございますが、昨今の社会規範をごらんになられて、大臣、この価値を見直すということは一体どういうことなのか。私は、それこそ社会規範をさらに強化し涵養に努めるというようなぐらいの思い切った突っ込み方をされるべき時代に今あるのではないかというふうに思うんですが、いかがでしょうか。
○伊吹国務大臣
先生に誤解を与えるような表現になっていたら大変申しわけないと思うんですが、そこに書いております意味は、例えば日本人が大切にしてきた法律以前のいろいろな我々の祖先の暗黙の了解事項、例えば、私の実家は非常に昔から細々と仕事している京都の室町というところの繊維問屋なんですが、昭和の初めごろまでは、みんな自分の家の前を掃きました。お向かいも同じようにお掃きになる。隣も同じように掃く。左隣も同じように掃く。そうすると、室町という通りは、端から端まで市役所が何の手を入れなくてもきれいに掃けている。こういうものは、人様に迷惑をかけないという、祖先が築き上げてきた社会の規範なんですね。
その規範の価値がなくなっているというのか、軽んじられているからこそ、その価値をもう一度見直したいということを私は言っておるわけです。むしろ、見直したいというのは、軽んじるということじゃなくて、余りにもその価値観が軽んじられて評価されていることをもう一度取り出して大切にしたいということを言っているわけです。
○田島(一)委員
私も地方議会を随分長く経験してまいりました。私は滋賀県の彦根ですが、冬になると雪が降ります。自分のところの門先を雪かきするのは当然のことであります、室町の商人と全く同じ発想でありますが。最近は、自分のうちの車庫から車が出せないじゃないか、雪をどけに来いと市役所へ電話をする、そんな方も中にはいらっしゃいます。恐らく、このことをおっしゃっているんだというふうに理解をさせていただきました。
少し引っかかったのは、最近、本当に世間の前で恥ずかしげもなくということが随分多く見られるようになりました。私よりも先輩であります安倍総理が先日中国へ訪問された折、政府の旅客機からおりてこられる最中に奥様と仲よく手をつないでおりていらっしゃったあのシーンを見て、私だったらできないなというふうに思いました。
大臣は総理から比べるとまだまだずっと先輩でいらっしゃるわけですけれども、あれは恥ずかしいと思うことは、私自身のこの考えはおかしいと思いになられますでしょうか。
○伊吹国務大臣
それは人それぞれですが、やはりタラップからあの坂をおりてくるときに、お互いに足元を注意してよろけちゃいけないときに、私は大事な妻の手は当然とってやりますね。それが夫婦の昔から大切にしてきた愛情だと思います。
○田島(一)委員
想定内の答弁でありましたので、これ以上突っ込むこともいたしません。
ただ、かつては三歩下がって師の影を踏まずであるとか、先祖が残してきたいろいろな言葉があります。そういったことも、いわゆる先ほど大臣がおっしゃってくださった、先人が築いてきた社会規範であったり恥の文化といったものに通じるのかもしれないなとふと思ったわけでございましたので、引用させていただいたところであります。
○伊吹国務大臣
それは、恥の文化というのは、人前で三歩下がってというふうに女性を、自分の妻をそのように扱うということではないと私は思いますよ。例えば、商いをしている限り、必ず利を上げなければならない。しかし、仕入れ先をいじめて、仕入れ先をたたいて利を上げる、お得意さんに不義理をしながら利益を上げるということをするのを恥と言うんじゃないでしょうか。ですから、ライブドアや村上ファンドの結末は法廷でつくでしょうけれども、法律で許されていても、してはならないことというものを平然とやるということを私は恥だと認識しております。
○田島(一)委員
ちょっと余談が過ぎたかもしれませんので、御容赦をいただきたいというふうに思います。
さて、こうした恥の文化も含め、また社会の規範意識が薄らいできている、これはやはり大人のモラル低下が大きな原因ではないかというふうに私は思います。ややもすれば今日の教育が、改革しなければならないと子供たちにばかり目を向けがちな、そんな教育改革論が横行しているところでありますけれども、何はともあれ、子供たちにしっかりと、後ろ姿、いえ前からでも結構です、堂々と見せられる大人であり続けなければならない。にもかかわらず、この大人のモラルが低下してきている問題が非常に目立つようになりました。
きょう実は皆さんにお配りをしたホッチキスでとじてあります資料の二枚目、一番裏側をごらんいただきたいと思います。「保護者のモラル低下一因」とありますが、これは学校の給食費の滞納がふえ続けているという問題を取り上げた新聞記事であります。この読売以外にも、各紙がこのところずっとこの給食費の滞納問題を特集的に記事にされていたので、私、きょうはこれを資料として皆様におつけをさせていただきました。
昔ですと、どんなに貧しくても親が頑張って給食費を持たせて子供を学校へ送った、当たり前のことのように給食費の徴収事務というものは学校でなされていたわけですが、最近では、それこそ家ではぜいたくなといいますか、ごく普通の生活をしていながら、払わなくて済むならば払いたくない、義務教育だから払う必要はないとわけのわからない理由をつけて学校給食費を払わない、そんな保護者が随分ふえているというふうに聞いています。
具体的にこの記事の中にもありますが、仙台市が調査をした小中学校の累積未納額は、二〇〇四年までに、就学援助世帯や生活保護世帯を除いて約六千三百万円、千三百九十五件に上っているという数字が挙がっています。非常にゆゆしき事態になってきており、この学校給食費の徴収に追われているのは現場の先生方であります。
全国で一体どれぐらいの数字があるんだろうかと随分調べてみたところ、残念ながら、文部科学省の方では、学校給食自体は自治体の業務であるから承知していない、調べてもいないというような回答が返ってきましたけれども、これは、この問題一つをとっても、社会規範のあり方であるとか、また、この後に質問をさせていただく現場の混乱に大きなきっかけをつくっていると思うんです。
大臣、文科省のこれまでの、この把握や指導をしていないということ等々も含めてどのようにお感じか、お答えいただけますか。
○樋口政府参考人
お答え申し上げます。
ただいま御指摘をいただきました学校給食費の未納問題でございますが、御案内のとおり、学校給食におきます食材費等につきましては、これは保護者負担ということが法律上明らかでございます。その徴収というものは、基本的に、学校給食の実施主体でございます地方公共団体と保護者の間で処理されるべき事柄であろうと。
また、給食費の徴収については、保護者のプライバシーに係る問題等、こういったこともございまして、これまでのところ、国としてその実態を把握していないところでございますが、委員御指摘のとおり、この未納問題というものが、学校や地方公共団体が今さまざま対応に苦慮しているというお話も私どもお聞きしているわけでございまして、今後、文部科学省としても、しかるべく現場の声を聞き取りながら、まずは実態把握に努めてまいりたいと考えておるところでございます。
○伊吹国務大臣
ただいま参考人がいろいろ話しておりますが、結局、調べられていないということなんですよね。ですから、ただ、先生がおっしゃっているように、払えるのに平然と恥ずかしげもなく払っていないのか、それともいろいろな家庭の事情その他でやむを得ず払えないのか、そういうことも含めて、少し教育委員会に、どうなっているのかという問い合わせをさせてみたいと思います。
その上で、それが現場でどの程度の他の業務の支障に、御指摘のように教諭の他の業務への支障になっているのかを判断して、これは先ほど藤村先生の御質問になったように、法律で、国と都道府県の教育委員会と市町村の教育委員会と学校の関係はもう少し、藤村先生というより、むしろ御党の西岡大先輩が我が自民党におられたころから主張しておられたようなやり方でやるというのだと、すぱっといくんですが、逆に、このやり方を強力に推し進めると、国家権力の教育への介入という非難が必ず出てくるので、そこの、何というか絶妙のバランスをとりながらやっていかなければいけませんから、給食の問題もその一つのあらわれだと思いますので、こちらでできる範囲で、一応まず実態調査をして、一度また一緒に御相談させていただきたいと思います。
○田島(一)委員
今、樋口局長がいみじくも保護者のプライバシーということを引用されました。私は、プライバシーというのは、個別にだれがというふうに特定されればやはりプライバシーの問題にも及ぶと思うんですが、現に自治体それぞれでは、仙台市や東京の葛飾区のように、きちっと数字を拾い出しているところもあるわけであります。それならば、ここがプライバシーを侵しているのかということを問わなければならないわけでありますし、そんなことはまずありません。
やる気があるかないか、調べる気があるかないかだけの問題でありますが、今、大臣が前向きなお答えをされましたように、やはりこの業務がどれだけ現場の先生方に負担を押しつけているのかとか、そして、実際に、格差問題ではないところで、甘えであるとか親の怠慢で払っていないことが事実としてあるならば、これはきちっと指摘しなきゃならないし、本当に現場の先生方がやらなきゃいけないことかどうかも含めて、ぜひ調査をしていただきたいと思います。この点は要望としてとどめさせていただきたいと思います。
さて、今日の学校の先生方が現場でどれくらい忙しい思いをしているのか、これについては、それこそ文部科学省の方でもいろいろと、勤務実態調査であるとか、また、その勤務の過剰ぶりに反映するかのような形で健康被害等を引き起こしているということもあわせて調査をされた結果もあります。
きょうお配りをした資料の、表裏両面を使わせていただきましたので、表裏の表でございますが、表十一とあります「病気休職者等の推移」、これは文科省の資料から抜粋をしたものであります。在職者数自体は、平成七年度に比べて十六年は減っております。職員の方の数は減ってきているが、病気の休職者は倍近くにはね上がっています。その中で、精神性の疾患、Cとありますが、精神疾患を訴える先生が実は三倍にふえています。この在職者比のA分のCそしてB分のCというところをごらんいただきたいと思いますが、病気で休まれる先生のうち精神性疾患による休職者は何と五六%、半分以上が精神性疾患であるという、そんな数字が出ております。
現在のところ、まだ十七年度が出ていないので、ことしどのような動向にあるのかわからないところでありますけれども、一枚ページをおめくりいただいて、裏に勤務実態調査の一覧を挙げさせていただきました。これは、平成十八年の四月六日から十二日、わずか一週間だけの調査なんですけれども、この一週間、関東のとりわけ一都四県の二十校だけでやられた試行調査でありますから、必ずしも有効データとは思えないんですけれども、またこの先、この勤務実態調査を全国的に展開されるというふうに聞き及んでおりますが、実際に、現場の教職員が一週間当たりどれぐらいの超過勤務時間を上げているのか、そしてまた、学校で仕事ができなかった場合、家へ持って帰ってやっている時間はどうなのかというのが、一週間、一日、そしてまた土日、一カ月当たりというふうに一覧が挙がっています。4の一カ月当たりの時間外勤務そして持ち帰り平均時間を調べた、これはわずか二十校のデータですけれども、超過勤務時間は、小学校、中学校合計で六十五時間に及んでいます。そしてまた、持ち帰りの時間も二十時間。
この主な理由はといいますと、下に挙がっておりますが、教材研究であるとか部活動、そして、このあたりがもう少し深くメスを入れなければならないと私は考えますが、学年、学級事務、それから教務指導関係事務という、わかったようでわからない理由がこのようにして挙げられています。
教材研究等も、本来ならば時間内でやっていただくべきことでありましょうが、ふだんの仕事の枠を超えてこれだけ超過勤務をやらなければならない。そして、先ほど示したように、精神性疾患による休職者数が七年度からこの十年間で約三倍にふえているという数字を考えると、これは相当現場に負担としわ寄せが押し寄せているのではないかという数字だと思いますが、大臣、いかがお考えでしょうか。
○銭谷政府参考人
お答えを申し上げます。
ただいま先生からお話ございましたように、教員の病気休職者数、特に精神性疾患による休職者数が著しく増加をしている現状はゆゆしいことだと考えております。
また、お話のございました教員の勤務の実態でございますけれども、これは、この四月に試行調査ということで実施をしたものでございまして、一週間、時期的にはちょうど新学年、新学期の始まる時期でございますけれども、その時期の勤務実態を調べたものでございます。時間外勤務が大体二時間程度ということが結果として出ているわけでございます。
私ども、まず病気休職者数が増加していることにつきましては、やはり学校内での同僚や保護者との関係あるいは児童生徒との関係などが、かつてに比べていろいろ複雑なものが出てきているということや、勤務時間全体がかなりハードな方もいるといったようなことが背景にあるというふうに考えております。
なお、教員のこういったメンタルヘルスにつきましては、やはりこういった状況を踏まえまして、校務の効率化、適正な校務分掌、あるいはカウンセリング体制の整備、こういったことにつきまして、工夫、改善を図るということを指導通知等によりまして現在指導しているところでございます。
○伊吹国務大臣
実態は今参考人が話したとおりだろうと思いますが、先生の役割というのは、どこまで先生に期待するかということがあると思うんですね。ですから、学校教育法によれば「児童の教育をつかさどる。」ということが書かれていて、そのつかさどるという意味は、教科の指導や生徒の指導というのは当然中心になってくるわけですが、しかし、それを周辺的にサポートしていく、例えば施設の整備だとか機材、あるいは物品管理だとか調査事務、学内の内部管理事務だとか教育委員会、PTAとの連絡、折衝というのを、これを抜きにしてやはり先生の役割は果たせませんので、どういうやり方がいいのかわかりませんが、人材活用法だとかなんかをいずれ見直して、よくやっていただく先生についての給与上の配慮だとかなんかを少しやはり考えてやっていく。
努力をしたけれども結局報われないままいっては困りますし、一方、余り対外折衝がハード過ぎて、今先生がおっしゃったような状況になるのも困るわけですが、これが、仕事が多過ぎるのか、教員がうまく処理できないことに理由があるのか、いろいろなことがあると思いますから、よく教育委員会の実態を聞かせて、少しでも努力をした先生が報われ、そして総体的にトラブルが少なくなるように頑張ってやってみたいと思います。
○田島(一)委員
先ほどの試行調査ですけれども、銭谷局長、具体的な全国調査というのはやられるお考えはあるのか、やるならばいつやるのか、まずそれだけちょっとお聞かせください。
○銭谷政府参考人
お答えを申し上げます。
ことしの四月に教職員の勤務実態について試行調査を行いまして、そのときのいろいろなやり方をよくチェックした上で、ことしの七月から十二月までの約六カ月間につきまして、現在教職員の勤務実態調査を実施いたしております。四週間ごとに全国の公立小中学校からそれぞれ百八十校程度の学校を抽出いたしまして、在籍をする教員、小中学校合わせて約八千人に対しまして、調査期間全日の勤務状況について調査票に記入をしてもらって回答をしてもらうということにいたしております。
その中で、子供の指導に関するものとして、授業の時間はどのぐらいかとか、成績の処理に関する時間はどれぐらいか、部活動の指導の時間はどれぐらいかとか、あるいは学校の運営に関する時間はどれぐらいか、学校内外の方々への対応に関するものではどういったようなことがあるのか、教育委員会等との連絡に、あるいは調査書類の作成にどれぐらい時間を要しているのかとか、こういったようなことにそれぞれ職務を分類いたしまして、その内容がわかるようにしたいということで、今調査を行っております。
○田島(一)委員
ありがとうございます。ぜひこの実施結果を心待ちにしたいと思います。
今回の調査ですけれども、大臣、何年ぶりに行われるか御存じですか。実はこれは四十年ぶりなんですね。一九六六年に行われて以来、一度もやられなかった。私は、やはりここは文科省の怠慢だったというふうに指摘をしたいと思います。
今これだけ教育界の現場が混乱をし、また問題を抱えてきている。それで、ようやく今ここで重い腰を立ち上げた。それでも、遅いけれども立ち上げたことを評価はしなければならないと思っておりますけれども、どうかこの結果を数字の結果としてただ単にペーパーに印刷するだけではなく、これをどのように分析していくのかが私は非常に問われると思います。このことをぜひ肝に銘じていただいて、これからの教育行政のあり方を考えていただきたい、このことを強く要望しておきたいと思います。
学校で、それこそ教科の指導や、また地域等々とのつながりなど、それこそ学校が抱えている業務の範疇は非常に大きくなってきました。そんな中で、一番学校で忙しい思いをしていらっしゃるのはだれかといえば、紛れもなく、ナンバーツーである教頭先生であります。
きょう添付資料でつけた二枚目の新聞記事をごらんいただきたいと思います。これは、実は北海道内の公立小中学校で、教頭昇任試験を受ける教諭の数が十年前に比べて何と三分の一に減っているという、そんな記事であります。
教頭先生といえば、それこそどの教職員よりも一番に学校に乗り込んでかぎをあけ、そして一番最後にかぎを閉めて出ていくという役割に始まり、それこそ地域とのつながり、またPTAの担当窓口であったり、またさまざまな教科指導もあわせて抱えるという点では、学校の中で一番忙しい職務を担っていらっしゃるのが教頭先生だというふうに思います。もちろん、校長先生もトップに立たれるわけでありますから、対外的なさまざまな会議や行事にお出になられなければなりません。それでも、実務的に忙しいのは教頭先生だというふうに思います。
そんな中で、これは北海道だけのケースですけれども、十年間で三分の一に受験者数が減った。これは本当にゆゆしき状態であろうかというふうに思います。三分の一に減ったけれども、世代交代していけば、教頭の数は必要最低限は当然必要になります。そのために受験者数が減れば、必然的にレベルは落ちていくというふうに考えられます。学校の中で一番忙しくされている方、教頭先生のレベル、レベルという言い方は不適切かもしれませんけれども、力不足というふうに言われるようなことが現実問題としては起こっている、そんな記事だと思いますが、大臣、どのようにお考えか、お聞かせいただけますか。
○伊吹国務大臣
これは人それから地域によってかなり違うと思いますね。私の地元では、率直に言って、今度教育再生会議に入った教育長がおりますが、私も幾つか学校の現場をよく見に行きます。校長先生とも教頭先生とも教務主任の先生とも話をしてみることがありますが、学校内の役割分担とシステムがうまくいって、そして、学校外の、地域社会の協力がうまくいっているところは生き生きとやっておられるんですね。
ですから、何もかにもすべて教頭先生に押しつけているというような地域も、それは確かにあるんじゃないかと思います。ですから、成功事例をよく共有して、うまく学校を動かしていくシステムをできるだけ共有して、そして、今おっしゃっているように、なり手がないだとかノイローゼになっちゃうということがなくなるように、それから、お金だけで本来教職者は動くべきではないと私は思いますが、給与の面でも、やはり人活法の活用等を通じて少し考えなければいけないなという気もいたしますから、先生の御指摘をよく受けとめてやらせていただきます。
○田島(一)委員
ありがとうございます。
大臣の御地元京都は、それこそコミュニティ・スクールなども本当に全国の先進的な取り組みをしていただき、地域と非常にうまい形で進めている、そんな学校経営の実態を私も拝見いたしました。そういう意味で、大臣が現場に視察に行くとなると、恐らく、地元の教育委員会などはこれでもかというところの一番いい学校を御紹介されるのではないかというふうに私などは勘ぐってしまうわけであります。全国にそれこそいろいろなケースがあると大臣も御認識いただいているようでありますが、必ずしもうまくいっているところばかりではない。全体を見渡していただく中で、問題のあるところはどこかということをできる限り現場の声として吸い上げられるような、何か仕組みを私は文部科学省の中にぜひおつくりをいただきたいと思います。
先ほど勤務実態調査のお話をさせていただいたわけでありますけれども、きょうは添付資料にはつけませんでしたが、実は、この調査校の分類でおもしろい数字があります。文部科学省が訪問をした学校と訪問していない学校別でこの超過勤務時間を分類された数字があります。文部科学省が訪問をされた学校は超過勤務時間が小学校で十六時間、文科省が訪問していない学校はわずか十二時間というふうに、文部科学省が来るとなると超過勤務時間がふえているんですね。このことは、実はこの文科省の資料にもしっかりとお認めになっていらっしゃいます。文科省による訪問を行った学校の方が時間外勤務時間が多い傾向が見受けられると。これは見受けられるじゃなくて、それで終わっちゃだめだと思うんですね。なぜ多いのかをぜひお考えいただきたい。それこそ大臣が現場を視察に行くといったら一気に、何をか言わんや、わかっていただけますね。ここのところをぜひ御認識いただきたいと思います。
何か意見がありましたら、お願いします。
○伊吹国務大臣
残念ながら、私は大臣になってから地元の学校を視察したことはございません。国会に忙殺されて、とてもそんな余裕はございません。
ただ、私が地元の小学校や何かを気楽に見に行くときは、教育委員会の人も来ておりませんし、校長先生や教頭先生とは私は大変仲よくなっておりますから、行ってみる。そして、京都は、先生がおっしゃったように、地域との連携が非常にうまくいっているところですから、長寿者の方々の会合があるときも学校を使います。行くと児童が出てきます。そして、あいさつを私が老人クラブでした後、教員室へ入っていって、お茶をもらって、雑談をして帰る。だから、私が行ったから超過勤務がふえるということは一切ございません。
○田島(一)委員
了解です。
これからもし行かれるのであるならば、ぜひ、抜き打ちでこっそりやっていただきたい。そのことが実際の姿を見るいい機会に私はなろうかというふうに思いますので、そのことをぜひお願いしたいと思います。文科省の役人の方々も、大臣が抜き打ちで行かれるからといって根回しをするというようなことはしないでいただきたい。これはぜひお願いをしたいと思います。
今し方もお話がずっとありましたけれども、うまくいっているような京都市の学校の事例ばかりではありません。ややもすれば、教頭先生の仕事が余りにも多過ぎてもうなりたくないというこの北海道の事例も含め、今学校の中では非常にいびつな職務体系になっているように思います。若い先生に至ってはとりわけ勤務時間が長いという傾向も出ていますし、そういう意味では、現場での負担や不満が直接子供たちに響かないようにする、そんな工夫も何より必要だというふうに思います。
その一方で、かつて私たちが子供のころ通っていた学校の先生方と今の学校の先生方とでは、やらなければならない仕事の量も随分変わってきたこと、これは大臣も御理解をいただいていることだと思いますが、かつては、学校の授業と放課後の部活動や生徒指導、そして、今にはなかった土曜日の授業というのもありました。が、その範疇を超えることはほとんどありませんでしたが、今では、この土曜日の課外活動への期待も学校に寄せられる。そして、先ほど言ったように、給食費の徴収事務なども、今まで滞納者などはいなかったのにそれを集めて回らなければならないという仕事もふえている。さらには、私の地元でも、朝御飯を食べてこない子供たちがいるからといって、学校で朝御飯を用意する、そんな学校すらもう出てきています。余りにふびんになったからといって、先生がポケットマネーでパンを買って与えている、そんな事例もあります。こういう事例を美徳だけで済ますわけにいかないと私は思うわけであります。
仕事がこれだけふえてきた、とりわけ地域や家庭との密接な連携を深めていかなければ成り立たなくなってきた今の学校において、欠けているのは何かといえば、地域との深いつながりを持った先生の存在ではないかと私は思います。
学校の先生も、それこそ人事異動で、校長先生に至っては一年から二年、長い人でも三年ぐらいでかわられます。教頭先生も、もちろん人事異動されます。ですから、せっかく一年から二年、三年の間に築かれた地域とのコミュニケーション、コミュニティーを、残念ながらうまく引き継ぎせぬまま人事異動されて、またゼロから構築されるというそんな苦労も、私は現場から声を聞かせていただいていますし、私自身、PTA等の活動をやらせてもらっている中で、去年の校長先生はよかったけれどもことしはだとか、そんな声も実際に現場のPTA会長さんから聞かせてもらったりもしています。そうなると、これまでは授業であるとか放課後活動さえやっていればそれで十分だった先生の枠が大きくなってきている。しかしながら、それが十分に対応し切れていないというのが現場の問題ではないかと思います。そのために、地域とのパイプ役を専門的にやる先生が、言いかえれば学校のマネジメントを専門的にやる先生が必要なのではないかというふうに考えるんですが、どうでしょうか。
例えば、学校によっては、教頭先生を二人配置されている学校もあります。アメリカに及んでは、校長先生を二人配置されて、教科専門の校長先生、そして学校のマネジメント並びに地域の対応を専門とする校長先生と、二人制を置かれていたりするわけでありますが、これが全国均一でやられているわけではありません。こうした地域との窓口を専門にやる先生、言ってみればネットワーク型の先生をこれから常設的に配置していく必要があるのではないかと考えるのですが、お考えをお聞かせいただけませんでしょうか。
○桝屋委員長
時間が迫っております。簡略にお答えをお願いいたします。
○伊吹国務大臣
先生、二つ問題があると思いますが、これは、教師が大変だということと同時に、今先生がおっしゃったことまでを教師に要求するという住民の姿勢、甘えの姿勢ということに一つやはり問題があるんじゃないでしょうか。それをみんな聞き入れないといい先生じゃない、聞き入れると大変だから人をもう一人増員しろという論理は、少し私は違うんじゃないかという気がいたしますね。
ただ、今のようなことだけを私が言っておれば、間に挟まっちゃった教師が身動きができなくなるということもよくわかっておりますから、これは何か、朝御飯を食べてない人にポケットマネーでパンを買ってやる教師がいい教師だというのは、私は少し違うと思いますね。
ですから、やはり、学校の教師が地元との連携を十分とる中で、それこそ家族、地域社会、学校、その地域社会と家族が崩壊し始めている中でということはありますけれども、やはり教育というものは成り立っていくんですから、先生にはその仕事はしていただかなければならない。しかし、その苦労をできるだけ軽減していくために、人事異動その他、先ほどおっしゃったようなことは配慮するところがあれば配慮していく。それでどうしても人数が足りない場合には先生がおっしゃったようなことを考えるということだと思いますが、余りにもそれは、今のお話どおりであれば、教師に地域住民というものが多くのことを甘え、期待し過ぎているという気がいたしますね。
○田島(一)委員
地域にこびへつらう先生が必ずしもいいと私も思っておりません。ただ、地域に対して物を言えるような地位に学校はないというのもこれまた現実だと思います。そういう意味で私が申し上げたのは、一人とにかくだれでもいいから増員しろということじゃないんですよ。言ってみれば、学校は本来学校がやるべき教科の指導なり放課後の指導にとどめて、それ以外の、地域とつなぐ役の専門職というものをつくるべきではないかという提案であります。まだきょうがスタートでありますから、これから私自身ももう少し調査を進める中で提案していきたいと思いますので、どうかよろしくお願いを申し上げ、質問を終わります。
ありがとうございました。
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